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「希望」だけが足りない、日本のポピュリズム

こんにちは。慶應義塾大学4年の古井康介と申します。現在POTETOという学生向けの政治メディアの代表をしている者です。
去年11月に行われたアメリカ大統領選挙、そして今年5月のフランス大統領選挙の取材に現地へ伺い、トランプ・ヒラリー・マクロン・ルペン氏の集会に参加してきました。

 

ポピュリズムだ!と批判された米仏の大統領選挙。そこで取材したことと比較しながら、今、日本で起こっている小池旋風についてお話しできればと思います。

世界で起こる「ポピュリズム」

大衆が詭弁的な政治家の言葉に騙され、「愚かな」判断を行なっていく様を、もっぱら批判的な意味合いを込めて語られるポピュリズム。

 

そんなポピュリズムは、アタマのいい人たちがありえないと思っていた結果をもたらしました。政治の「素人」だったトランプ候補を大統領に押し上げ、ファーストレディ・国務長官…と、圧倒的な実績があったヒラリー氏を負かしてしまいました。

 

そんな「あり得ない」と言われながら国民の支持を得て勝利を収めたトランプ氏の一方、世間に嫌われていたマクロン候補が、「あり得ない」候補者ルペンに勝利。より「マシ」な候補が選ばれる結果となりました。

 

アメリカとフランスで出会った「ポピュリズム」。
日本でもまた起ころうとしているこの現象。本来選挙は、国民がなにがしかの政治家への支持・不支持を表明するものですので、一概に悪いものとは言い切れないもの。

 

とはいえ様々な評価がある、米仏のポピュリズムですが、その実態はどのようなものだったのでしょうか。また、日本のポピュリズムは一体どんな性格を持っているのでしょうか。

米欧のポピュリズムの正体

米欧のポピュリズムは属人的ではあるものの、非常に政策由来の(日本のそれに比べれば全然「民度」の高い)大衆迎合でした。

名前入りの飛行機や、ルーブル美術館を貸し切って、ライブのような音の光を兼ね備えた演出豊かな政治イベント。賑やかしく騒ぎ立て、裸のギタリストが騒ぎ立てるトランプタワーの前。こんな選挙が行われていました。

 

これを日本の大人に話すと「もう、ショーだったんだね」と、みなさんは半分バカにしたような、なんとも言えない薄ら笑いを浮かべてこう呟きます。ショーのような政治集会がすごかったと、興奮気味に話す僕のことを冷めた目で見る、知識人とは恐ろしい。いや、愚かな僕こそ社会からすると恐ろしい存在なのかもしれません。

 

では、そんな演出豊かな政治集会にはどんな人が集まってきているのでしょうか。

 

そこに来ていたのは日本でいう共産系のオジさんでもなく、極右の怖そうな人々でもありません。

 

ご存知かもしれませんが、トランプ氏やルペン氏側の参加者(支持者)は労働者や、家族連れが多くいました。ヒラリー氏やマクロン氏で言えば、若者や女性、LGBT団体の人が。

もちろんこちらサイドにもおじさんおばさんは完備です。先日、日本の国会前の政治集会=デモを見たのですが、遠目で頭部の肌色と白色が目立つ日本と違い、米仏のデモ参加者の髪の毛はみんなフサフサでした。単純にバカにしているのではなく、普通に若々しさとエネルギーがありました。

例えば日本のシールズは、ラップに音楽…と割りかしショーっぽいです。中にいる人たちは、安保反対や原発反対と、太鼓を鳴らしては「アベ政治」に反対を表明しています。
しかしこれはポピュリズム的な動きではないと考えます。何かに反対する運動は、ポジティブな熱狂を生みづらい性質を持っています。嫌だから、応援するんじゃなくて、いいと思うから応援される。そして、いいと思う源泉は、もちろん属人的な要素はあるものの、属政策的なものが非常に強かったのです。

 

「トランプ氏の政策は労働者である自分たちの生活を守るもの。本当に自分たちの生活を変えうる。今までの政治家とは違うんだ。」
「ルペン氏は愛国者。フランス人のための政治を、彼女ならやってくれるんだ。」
「ヒラリー氏が負けてしまって、女性として、LGBTとしてのアイデンティティーが否定されたような気がした。」
「マクロン氏は正しい。EUとともに、僕らは発展していかなければならない。」
投票日を目にしたわけではないが、イギリスの総選挙。

 

ここでは、「フェアな社会」を謳ったジェレミー・コービン氏が大躍進していました。

 

アメリカでは惜しくも敗れたバーニー・サンダース氏も、高福祉政策で若者を中心に大きな支持を得ていました。フランスでは、これまたリベラルなジャック・メランション氏を大統領にしたかったという声を、投票日の前日まで耳にしたものです。

 

米仏のポピュリズムは、政策由来だったのです。

日本のポピュリズムの限界

一方で日本のポピュリズム。これはすごく属人的なものです。

 

8年おきに訪れると言われる大衆迎合的な扇風。1993年の細川新党、2001年の小泉扇風、2009年の民主党政権、そして2017年の小池扇風…。それらはもちろん、様々な要因が重なっているとはいえ、「汚職だらけの自民党が嫌だ」「スター性のあるあの人が好きだ」と言った理由で大きく支持を集めたといいます。

 

「自民党が嫌だ。だから政策はよくわからん烏合の衆だけど、こっちにする。」
「小泉さんが好きだ。だから郵政民営化ってよくわからんけど支持する。」
「小池さんが好きだ。だから政策はよくわからんけど支持する政党としては人気獲得!」

 

こう見ると、民主党の政権交代はちょっと違ったのかもしれませんが、日本のポピュリズムは全て人由来。結局人の好き嫌いで物事を判断するから、その人の勢いや評判一つですぐ人気が凋落する傾向にあります。

 

それ故だからなのかはわかりませんが、日本の政治は8年の間にコロコロ流れは変わってしまうのです。アメリカで言えば大統領の2期分の任期。一般的に2期勤めることが多いから、まあ1シーズンと考えたとして、政治の1シーズン持ちこたえた政治は僕が生まれてからこのかた存在しないのです。

 

そして、そんな属人的なよくわからなん「人気」由来のポピュリズムは、テレビのワイドショーにいとも簡単に左右されます。単純な人の印象やイメージでしか物事が図られていないので、テレビがいいと言えば良くなり、悪いと言えば悪くなってしまいます。国民も舐められたもんですね。

小池旋風は起きるのか

そんな中、永田町のおじさんたちは、小池氏の人気をおそれおののいたのか、「先生」と呼ばれては偉そうな態度をとっていた任期中とは打って変わって慌てふためいています。申し訳ないけど、すごいダサい光景が広がっています。

 

しかし、そんな永田町の人たちにどうか考えてほしいのです。日本では、米仏のようなポピュリズムは、起こっているとは考えにくいです。それはまだ選挙戦が始まってないからなのかもわかりませんが、僕らの周りの若者は、小池さんに熱狂している人なんて一人もいません。

 

世論調査を見ても、希望の党には期待するものの小池氏が都知事辞職には批判的な国民が多くあります。希望の党の勢いは、ここ数日で一挙に落ちてきているのは周知の事実です。

 

しかし、それでもやはりポピュリズムとは未知の力を持ちます。

 

誰しもがありえないと思っていた結果を、秘密投票は生み出しうるもの。トランプ氏を本心では応援しているものの、社会的体裁を気にしてトランプ支持とは言っていなかった「隠れトランプ」というものも存在していました。今はスピードが落ちていても、この先どうなるかわかりません。

 

トランプ大統領の誕生は、当日の開票後3時間ごろからまことしやかに噂され、一挙に世間の予想を裏切りました。開票を見守るヒラリー氏の陣営で、テレビのキャスター、そしてヒラリー支持者たちの血相が変わっていく姿は、本当にずっと記憶に残っています。ヒラリー氏が「来るはずだった」誰もいない演説台は、ガラスの天井の元佇んでいました。

 

その一方でマクロン氏だってフランスでは嫌われ者でした。しかしルペンよりはマシだと思われたのです。不支持率もあるものの持ちこたえる安倍氏と、元極右的な発想なものの、中道的な言葉でカモフラージュした小池さんは、それぞれマクロン氏とルペン氏に似ているとも言えます。

 

まだまだどうなるかは、当たり前だけど、わかりません。

 

かつて、社会を変えたい、そう思っていた時にchangeと叫んだ大統領がいました。Great Again,と叫ぶことで支持を得た大統領がいます。

 

日本でも、国民がちょうど思っていて、でもまだ言葉になっていない政治への要望。いわゆるインサイトを発掘し、政治家の本分である「政策」に落とし込んで唱えた時。初めて日本の国民も、それは僕らのような若者も「希望」を見出すのではないでしょうか。日本のポピュリズムの完成には、僕らが「希望」を見出すにたる、政策が足りない。

 

だからこそ、日本のポピュリズムには「希望」だけがないのだと思うのです。
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