5月24日、イギリスのメイ首相が辞任を表明しました。
2016年6月に行われた国民投票でイギリスのEU離脱が決まり、その責任を取って辞職したキャメロン首相の後任として首相に就任したメイ氏。ブレグジットをめぐる混乱に翻弄され続けた首相でした。
この記事では、3年弱にわたったメイ政権での出来事と、今後の展開について解説します!
メイ首相ってどんな人?
メイ首相は、1956年生まれの62歳。
2010年の下院議員選挙で、キャメロン党首率いる保守党は13年ぶりの政権交代を成し遂げます。メイ氏はキャメロン首相の下、重要ポストの一つである内務大臣を2016年まで務めました。
2016年6月23日、保守党が選挙公約として掲げていたイギリスのEU離脱(ブレグジット)の是非を問う国民投票が行われ、投票した有権者の51.9%が離脱に賛成票を投じたことで、イギリスのEU離脱が決定。
離脱に反対していたキャメロン首相はこの結果を受けて辞任し、メイ氏が後任に名乗りを上げます。
メイ氏はEUへの残留を支持していたものの、積極的に国民投票のキャンペーンに加わらなかったため、離脱派からも残留派からも支持を受けることができる候補でした。
結局メイ氏は、女性としてはサッチャー氏以来二人目の保守党党首、そしてイギリス首相に就任しました。
メイ首相は何をしたの?
メイ首相に求められたのは、スムーズなブレグジットの実行でした。
しかし、離脱をめぐるEUとの交渉は困難を極めました(参考:よくわかる!ブレグジット(後編)【POTETOリサーチ】)。
2017年3月にスタートしたイギリスとEUとの交渉は2018年11月に妥結したものの、その後には更なる難関が待っていました。
その「難関」とは、イギリス議会です。メイ首相が取りまとめたEU離脱協定案は、野党である労働党はもちろん、与党である保守党の一部の議員からも「メイ首相の離脱協定案では、EUに残留するのと変わらない」として反対されました。
結局、離脱協定案は議会で否決され、メイ首相は3月に予定されていたEU離脱の期限を10月まで延長せざるをえませんでした。
最終的にメイ首相を辞任に追い込んだのは、メイ首相が5月になって新しく提案した離脱協定案に、「国民投票の再実施」が含まれていたことでした。民主主義の本家ともいえるイギリスでは、たとえ決まった内容に反対であっても、一度国民によって決められたことには従うべきだ、という意見が根強くあります。
そのような考えも背景として、新たな離脱協定案は支持を得ることができず、それどころかメイ政権で下院院内総務という重要なポストについていたレッドサム氏が辞任を申し出たことで、メイ首相も辞任を余儀なくされました。
今後はどうなる?
現在、メイ氏の後任の保守党党首(次期首相になる可能性が高い)の座を争って、11人もの候補者が立候補しています。
中でも本命視されているのは、メイ政権で外務大臣を務めたことのあるボリス・ジョンソン氏です。
ジョンソン氏は、国民投票の際に離脱派のリーダーとして活動し、EUとの合意がなくてもEUを離脱すべきだ、という「強硬離脱派」の代表格です。
3年前にはキャメロン前首相の後任の保守党党首としても有力視されていましたが、最終的には出馬を取り下げました。
それ以外には、ジョンソン氏の後任として外務大臣を務めたハント氏(若い頃、日本で英語教師として働いた経験も!)や、
メイ首相を支えていたレッドサム氏などが出馬しています。
保守党の党首選挙は、まずは保守党の下院議員による投票で候補者を二人にまで絞り込み、最後に党員による決選投票を行うという仕組みになっています。結果は7月末に判明する見通しです。
世界中の注目を集めるブレグジットですが、今後はどの首相の下で進められることになるのでしょうか。
イギリスの動向からは、これからも目が離せません。
参考
Encyclopædia Britannica 『Theresa May』
日本経済新聞『メイ氏後継、7月末までに決定 英保守党首選のしくみ』
日本経済新聞『[FT]与党内でも孤立するメイ英首相、退陣の時迫る』
日本経済新聞『英与党新党首、強硬派ジョンソン氏がリード』
HUFF POST 『イギリスのハント外相、日比谷高校で模擬授業。生徒たちに日本語で呼びかけたことは?』