目次
障害を負って分かった日本の選択肢の少なさ
Q. 本日はよろしくお願いします。まずは、富山さんの経歴を教えてください。
私は、水道橋にある東京歯科大学出身の歯科医師で、大学4年生の時に交通事故で大怪我を負いました。当時は意識不明の重体で生死をさまよい、目が覚めてからも意識ははっきりしない状態でした。今現在は、右手が不自由ということと、また足を含めた複数の内部障書も抱えています。
私は多くの方の支えがあって回復し、歯科医師免許を取得し、臨床研修なども修了することができました。たった1つの出来事で、突然、中途障害者になったわたしには今まで想像もしなかったほどの様々な困難が待ち受けていました。なんとか打ち勝った困難もあれば、あきらめてきたことだって多々あります。
その時に、「もう少し選択肢があってもいい。そのためには、何かを変えなければならない。」と感じました。
社会を変えるために進んだ厚労省への道
「何かを変えなければいけない」そのために当時の私が知っていたのは、厚生労働省(以下、厚労省)の医系技官という道だったので、厚労省に進みました。実際、厚労省では行政の中心で多くのことを学ばせていただき、大変有意義な経験をさせていただきました。
しかし、厚労省は「行政の中心でルールを正しく運営する」という立場だということを実感しました。今日明日、今わたしのように苦しんでいる人を救うための「ルールを作るのは政治」であるということも実感しました。
大怪我を負ってから私は理想とかけ離れた現実を辛く思うことも多く、ここまで回復してしまった自分を恨み、もう今後の人生は消化試合だと思ってずっと生きてきた部分もありました。
けれども、今回挑戦をすることで今、私のように苦しんでいる人を救えたら、今後私のように苦しむ方がいなくなったら、私のこの経験にも意味があったと思えるのかなと。自分を許せるというか、「私がここまで苦しみ、悲しい思いをした事は無駄なわけじゃなかった。」と思えるかなと思っています。
師匠・乙武洋匡さんとの出会い
Q. 乙武洋匡さんと出会ったきっかけについて教えてください。
乙武さんとの出会いは、最初は昨年8月の参院選です。参院選の時、たまたま乙武さんの街頭演説を聞く機会があって、そのおっしゃっていた内容にすごく共感をしました。「選択肢を増やそう」という言葉が、私の思ってることとすごいマッチして、そこから乙武さんのことは応援しておりました。
ある時、たまたまTwitterで乙武さんの「未来をつくる政治塾」の募集を見つけたんです。その時に、「これだ」と思ってすぐ応募して、初めて対面でお会いしました。当時の私は、政治家になるということは真剣に考えていませんでした。ただ、当時は政治を厚労省側から変えるのは、なかなか長い時間がかかりそうだと思っていた時だったので、「これからどう私の経験を社会に活かせるかな」と悩んでいた時に、お会いできたんです。
政治塾で、乙武さんや様々な講師の皆さんの講義を聞いている時に、「あ、私もこっち側(政治家)になりたいな」と思いました。そこで、乙武さんに決意を話した際に、「じゃあ、君がなってみるべきだよ」と言っていただいて。やっぱり、乙武さんはそういった意味で、師匠のような存在だと思っています。
Q. 乙武さんの影響で、本格的に政治家になりたいと思ったんですか?
乙武さんの影響もあるのですが、政治家を決意するようになったのは、政治の講師だった東京都議会議員の龍円あいりさんの影響でもあるんです。
東京都のパートナーシップ宣誓制度の実現や、都営地下鉄の電車内のデザインを変えたのも、龍円さんというお話を伺いました、その時に「本当に地域に密着した課題が解決できるんだ!」と驚愕すると同時に、憧れと羨望の気持ちを抱きました。
私自身、千代田区の大学に復学する際に、ものすごい量の困難を経験し、あきらめた事だって多々ありました。その「復学」という制度を作る際にも、1番最初に取り掛かれるのは区議なのかな、と思いました。
Q. 「多様な学び方」ということですね。
そうです。脳梗塞で倒れてしまった私の1個上の先輩は、退学になってしまったり、進行性のALSになってしまった後輩も退学になってしまったことがあったんです。
私自身、その子たちが未来の計画を自分たちで考えなきゃいけない身体になってしまった時の、精神的負担がすごくわかるんです。そういう時に、退学っていう更なる負担を課す必要はあるのかなって思っています。
千代田区の現状や課題
Q. 富山さんが考える千代田区の現状や課題は何がありますか?
私が活動して聞くのは、「千代田区のグループホームや障害者施設の家賃が高すぎて入れない」という課題。そして、「所得制限があり必要な支援が受けられない」というお話です。
施設に入りたい需要はある一方、家賃が高く施設は定員割れしている状態が続いています。たとえ所得制限に引っかかったとしても、お子さんが複数いらっしゃったりすると、余裕があるというわけでもないのに、必要な支援が受けられないなどの課題があります。家賃が高いという問題が解決されれば、入居したい方はたくさんいます。
そして、千代田区は、優秀な病院やクリニック、歯医者、薬局などがたくさんある街なんです。ただ、それを区民に還元できているかといえば、あまりそうとはいえない実情があります。千代田区には日本屈指の病院がたくさん集結しているし、そこに住んでる区民はその還元を受けられるように整備したいと思っています。
そして、障害者支援については、そもそも千代田区に特別支援学校がないんです。特別支援学級はあるのですが、今年やっと2つ目ができたくらい。”障害者がいない”と扱われている区なんです。そのため、通学に40分かけて行っているお子さんや、他の自治体に引っ越した、なんて話も聞きます。
千代田区では7〜8割が「生活に満足している」と答えているんですが、男性の自殺死亡率は東京都や日本の平均の倍以上なんです。みんな満足しているとは言いつつ、ギリギリの状態で働いているんだと思っています。
区政に、医療の専門家を。歯科医師として、元厚生労働省官僚、医系技官として、区政に届けることが、私の使命だと思っています。
Q. 富山さんは千代田区政に向けてどのような活動を中心に行っていますか?
無名の新人なので、まずは私の名前を知ってもらうために、街頭に立ってご挨拶をさせていただいます。また、町会の活動にも参加したり、大学の先輩が開業されている歯科医院が多く存在するので、その先輩方を回らせていただいて、ご挨拶をしています。
ありがたいことに、お優しい先輩方が多くて「挑戦する人を応援するよ!」と言ってくださり、病院の中にポスターを貼っていただいています。
誰一人取り残さない4つの約束
Q. 支援の輪が広がってきていますね。富山さんが実現したい政策はどのようなものですか?
私は、千代田区民の皆様に『誰1人取り残さない4つの約束』をさせていただいております。
一つ目に、「区民の健康をあきらめない」
病院やクリニックが多く集まる千代田区です。このコロナで医療への関心が高まっている状況なので、より医療を身近に感じられるようにしたいなと思っています。また私自身が、多様な教育を受けたかったと強く願っていた側なので、二つ目に「多様な教育をあきらめない」ということを約束しております。
そして三つ目に、学生から社会人になって感じた「若い女性だから」という困難を少しでも変えられないかなと思っていて、「自分らしさをあきらめない社会」を約束しています。
最後に四つ目が、歴史ある千代田区ですので、古くから千代田区に住まれている住民と、ここ数年で移住された住民の皆さんをつなぐ役割もしたいなと思っています。そういった意味で「地域のつながりをあきらめない」とさせていただいています。
諦めなくていい社会を作りたい
Q. 最後に、ご自身が目指している将来像について教えてください。
私は千代田区に救われて、千代田区に支えられて、ここまで回復することができました。千代田区に選択肢を増やすことで、諦めなくていい社会を作りたいと思っています。
そして、千代田区は、東京・日本・社会の中心です。この千代田区から誰1人取り残さない社会に変えていきたいと思っております。
たった1つの出来事や状況で「あなたの人生はハズレです」となる”くじ引き”みたいな社会を変えていきます!
< 富山あゆみ(とみやまあゆみ)>
・1994年11月生まれ(28歳)
・東京歯科大学在学中に怪我を負い、中途身体障害者に
・卒業は歯科医師免許を取得し、厚生労働省大臣官房に勤務
富山あゆみさんのHPはこちら⏬
https://tomiyama-ayumi.com/