日本政治は歪なジェンダーデモクラシー

ポイント

・人は知らないうちにジェンダーステレオタイプで候補者を判断しがち

・女性の議員が増えることで議論される政策も多様になる

・女性の政治参画全体を進めるにあたっても女性議員は必要

 

日本政治は歪なジェンダーデモクラシー

最近女性の社会進出、活躍が叫ばれております。

日本では女性議員の数が少ないということが取り上げられることがしばしばありますが、そういった報道に対して,こう思っている人はいませんか?

「民主主義なのだから、有権者によって選ばれた国会議員が国会に行けばそれで良い。議員が女性である必要ってあるの?」

「そもそもフェミニストが嫌い!」

「女性のために!女性の権利を!女性!と感情的に女性の権利ばかり主張する。」

そう思っている方にこそこの記事を読んでもらいたいと思っています。

 

女性が政治家になるってどういうこと?

最初の前提として、まず女性が政治家になるとはどういうことかという点から整理していきます。

結論から述べると、女性は政治家になるにあたって圧倒的に不利です。

理由は2つありますが、まず、セックスとジェンダーの違いから説明していこうと思います。「女性」「男性」といった性にも「生物学的な性(セックス)」と「社会的な性(ジェンダー)」があるのです。生物学的な「性」とは、「女性にしか子供は産めない」といったことを言います。それに対して社会的な性であるジェンダーは、例えば「子育ては女性がするべき」といった社会的な規範、慣習のもとにつくられた「社会的構築」です。

この社会的構築であるジェンダーステレオタイプと、女性の政治参画は大変相性が悪いのです。では、「社会的構築」としての男らしさ、女らしさの要素について整理してみましょう。

男性らしさーmasculinityー
強い、理性的、野心的、賢い、自立している、勤勉、タフ、攻撃的、リーダーシップ、信用できない

女性らしさーfemininityー
感情的、優しい、魅力的、弱い、賢くない、自立していない、同情深い、素直、受け身

このように列挙してみると、女性らしさの要素のほとんどが、俗に言う「政治家に向いている素質」と正反対のものです。(ただし、女性らしさの要素である「素直さ」等が女性に有利に働くこともあります。

例えば、しばしば日本には「強いリーダー」が不在だと言われますが、これは「女性らしさ」には当てはまらない政治家像でしょう。つまり,ジェンダーステレオタイプから描かれる女性像と,政治家とはかくあるべきとされる理想像が非常にマッチしにくく,したがって女性は政治の世界に参画しづらいのです。

例えば、とある女性候補者が「強いリーダー」ではない場合、政治家の素質を満たさないと言われますし、逆にとある女性候補者が「強いリーダー」であった場合は、彼女は「女性らしさ」の特徴と一致しないために、「アグレッシブすぎる」とみなされ批判される、といった具合に。

また、女性らしさの要素の一つとして「魅力的」といった要素があげられ、常に女性政治家が見た目について言及される理由の一つになっています。最近では、小池百合子氏が化粧を揶揄されたこと、また、上西小百合氏が服装や化粧について批判されていたことも記憶に新しいですね。

公約、政策の内容についてではなく、職務とは無関係な見た目について批判するのは生産的ではないはずですが、無意識的なジェンダー観がそうさせているのです。

 

「社会的構築」としての 男性らしさ/女性らしさ が公約や政策にも影響する

そして、この男性らしさ、女性らしさの特徴が、実際の候補者の公約、政策にも影響していきます。先ほど考えた特徴をもとに、「男性らしい」「女性らしい」政策トピックについて考えてみましょう。例えば、男性らしさに「強さ」があり、安全保障は軍事も関わってきますのでなんとなく男性らしいですよね。

整理してみると、

ー男性らしいトピックー
安全保障、経済政策、税金、外交、防衛、貿易

ー女性らしいトピックー
子育て、社会保障、教育、LGBT等マイノリティー、医療制度

(もちろん全ての政策分野がステレオタイプによって網羅されるわけではありません。)

ここでお気づきの人もいるかもしれませんが、「男性らしい」政策が選挙の大きな争点になることはあっても、「女性らしい」政策が大きな争点になることはほとんどありません。(逆に言うと、例えば子育て政策が大きな論点になった時は女性が有利ということです。「保育園落ちた、日本死ね」問題で活躍した山尾志桜里議員もこの一例です。)

そして、女性候補者が「男性らしい」政策を主張した時には、それは女性らしくないと言われるのです。例えば、2016年アメリカ大統領選挙に出馬したヒラリー・クリントン氏は外交、安全保障に造詣が深く、実際の選挙活動でもこういった政策についてので、こういった点が「女性らしさ」に一致せず、彼女が落選した理由の一つになったという考え方もできます。

ある調査結果では、被験者らにとある男性・女性の現職の候補者についての文章を読ませ,当選予想をさせたところ、二人とも現職議員で政治経験は怒涛であったにも関わらず、被験者は男性の方が当選するだろうと答えました。(Kahn, 1992)

実際の投票行動はもっと複雑ですので、「女性だから票を入れない」と結論付けることは難しいにしても、少なくともステレオタイプが女性に不利に働いている可能性があるとは言えるでしょう。実は日本の選挙でも,候補者段階での女性の割合と,当選段階での女性の割合では後者の方が著しく低くなっているのです。
候補者の情報をショートカットする手段として、無意識のうちにジェンダーに基づいたステレオタイプを用いて判断してしまっているというわけです。しかし本来ならばステレオタイプではなく事実に即して判断し投票するべきです。

今のメディアのシステムが女性候補者を見えにくくしている

次に今のメディアが、社会的構築としてのジェンダーだけではなく、メディアのシステムが女性候補者を見えにくくしているとも言えます。ヨーロッパの調査では,女性と男性の候補者に対する報道の量を比較すると、女性候補者の報道量の方が圧倒的に少ないというデータが多くあります。(Kittilson and Fridkin 2008など)

なぜでしょうか?

一つの理由として、メディアとしてはより有利な候補者を多く報道したいからです。

有利な候補者とは,現職の候補者に決まっています。そうなると現状女性の議員は数少ないことから、あまり女性候補者が報道されないということになってしまうのです。つまり、報道量を現職の女性候補と男性候補者で比較すればほとんど違いはありません。

候補者がメディアで報道さればされるほど、当選確率も高くなるという研究があります。(Goldenberg and Traugott 1987)つまりこのメカニズムが女性を不利にしているのです。メディアには民主主義においてすべての社会集団を正確に代表する責任があるという理論があります。(Scammell and Semetko, 2000)本当に有利な現職候補者のみを報道することで社会集団を代表していることになるでしょうか?

次回の記事では,今回注目される女性候補者をそのような観点からまとめてみたいと思います。以上、長くなりましたが、「女性議員とは」という前提の部分を考えてみました。

 

女性議員が少ない本当の問題と彼女たちが必要な理由

以上を踏まえて、なぜ女性の議員が少ないのが問題なのか、なぜ女性の議員が一定数国会にいることが必要なのかを考えていきたいと思います。最初の議論として、女性の議員が多くいることで女性の意見が代表される可能性が高いということ。

これを「politics of presence」理論といいます。

可能性が高いというのは、女性といっても人それぞれで違った人生を生きているので、「女性の意見」と一括りにするのは不可能であって、女性議員が国会にいることで社会の女性全員の意見を代表するということは不可能なのです。
しかし、女性議員がより多くいれば多くいるほど、女性議員も多様になり、様々な論点や政策が国会で議論される可能性が高くなります。結果として世の中の女性の意見の大部分が代表される可能性が高くなると同時に、国会で議論される政策が多様になります。(Phillips 1995, 1998)
その反面、女性議員が少ない場合は、議論される政策も似通ったものになり、社会全体にとって重要な課題が見逃されてしまう可能性が高いのです。(Burns, Schlozman, and Verba 2001) また、国会で様々な政策が違った視点で議論されることで、メディアの報道でもより多様な政策が報道されることになり、結果的に社会全体の視座が高くなるのです。
日本における現在の女性議員率は衆議院で9.3%、これは世界193カ国中163位です(OECD平均が29%)。様々な視点や論点が見逃されている可能性が高いと言っていいでしょう。

もう一つの議論として、「象徴的な代表」という概念があります。

ぱっとテレビをつけた時に、国会中継が流れ、その中で男性が圧倒的マジョリティだった場合、小さい子供はどういった印象を受けるでしょうか。政治とは男のもの。こういった刷り込みが実際に起こっているのではないでしょうか。
国会における女性議員の割合が多ければ多いほど、若い世代の女性が政治に積極的に参加するということが研究で示されています。(Wolbrecht and Campbell, 2007) ニュースを読む、政治について議論するといった日常的な行動の男女差が、やがて政治に対する関心度の違い、知識量の差となり、それが政治における男女の力の不均衡の原因になっているのです。

こういった象徴的な意味合いにおいても、女性議員が一定数いることは欠かせないでしょう。

以上、なぜ女性議員の少ないことが問題なのかを整理してみました。

ここでは、選挙の際には必ず女性に投票するべきであるだとか、男女の議員比率を50:50にするクオーター制を今すぐ導入すべきといった極端な議論をしたかったのではなく、投票の際やメディアで女性議員の報道を見た際に、こういった「ジェンダー」という前提を少し考慮していただけるよう,問題提起のために本記事を書きました。

女性に限らずですが、国会がより多様な価値観を代表する場になってほしいと思います。

*参考文献

・Burns, Nancy, Kay Lehman Schlozman, and Sidney Verba. 2001. The Private Roots of Public Action: Gender, Equality, and Political Participation. Cambridge: Harvard University Press.

・Wolbrecht and Campbell, 2007 See Jane Run: Women Politicians as Role Models for Adolescents

・Scammell and Semetko, 2000 Media, Journalism and Democracy. Aldershot: Ashgate.

・Kahn, 1992 “Does Being Male Help: An Investigation of Gender and Media Effects in U.S. Senate Races.” Journal of Politics 54 (2): 497–517.

・Phillips 1995, 1998 The Politics of Presence. New York: Oxford University Press.

・Goldenberg, Edie N., and Michael W. Traugott. 1987. “Mass Media Effects on Recognizing and Rating Candidates in U.S. Senate Elections.” In Campaigns in the News: Mass Media and Congressional Elections, ed. Jan Pons Vermeer. New York: Greenwood Press, 109–33.

・Kittilson, Miki C., and Kim Fridkin. 2008. “Gender, Candidate Portrayals and Election Campaigns: A Comparative Perspective.” Politics & Gender 4 (3): 371–98.

朝日新聞デジタル

経済協力開発機構(OECD)東京センターニュース

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東京大学農学部2年。 気になるものにはとりあえず足を運んでみるがモットー。アートと動画が大好き。主に撮影と動画してます。